こんにちは。
産後ケア&脳育運動教室チルチェ主催の小野崎あゆみです。

大学卒業後、長年運動指導に関わってきました。
自身の出産・育児を経て、心と体をケアする産後ケアに出会い、子どもの発育発達や経営塾でメンタルの重要性などを学び、夫とともにStudio&Caffe CIRCE(スタジオ&カフェ チルチェ)という店舗経営を経て2021年に独立し産後ケア&脳育運動教室を主宰しています。
活動履歴
大学(健康スポーツ科学部)を卒業後、全国展開する治療院にてトレーナー活動や
栄養士・保健師・医師とともに健康運動指導士として健康教室やセミナー開催などしていました。
2006年 ピラティスの資格取得
2009年 浜松で産前産後の【ボディデザインCIRCE(チルチェ)】を立ち上げサークル活動
2011年 産後ケアインストラクター資格取得
2012年8月 夫とともに【studio&caffe CIRCE(チルチェ)】開店
2013年 日本コアコンディショニング協会ひめトレインストラクター、アドバンストトレーナー取得
2013年~ パーソナルトレーナー塾基礎コース入会
2014年 一般社団法人体力メンテナンス協会バランスボールインストラクター養成講座開講
2015年 一般社団法人体力メンテナンス協会体力指導士・産後指導士養成講座開講
2015年 トータルコンディショニングコーディネーショントレーナースクール基礎科修了
2016年 一般社団法人体力メンテナンス協会骨盤補正師資格取得
2017年 一般社団法人体力メンテナンス協会東海支部長就任(任期2年)
2018年 一般社団法人体力メンテナンス協会試験官
2021年1月 studio&caffe CIRCE閉店し、個人事業主へ。レッスン会場を変え、教室運営。
プライベート
中高時代はバレーボールに明け暮れる。
高校時代は腰痛に悩まされ、3年になると右肩が痛くて上がらなくなる。スパイク1本打つのも必死だった。国体の最終選考に選ばれるも、右肩の激痛でイヤイヤ選考会に行った記憶が。
大学は、進学した大学がたまたまバレー部強豪校。入学前の春休みに家に電話があったが、お断りしてしまう。もう大学は遊びたかった~~~。
大学2年の時に、やっぱりバレーがしたくなり、社会人のサークルへ。
なんか、う~ん、物足りず。。。
就職後は全くバレーができなくなるが、転職後は月1.2くらいでやってたかな。
2002年 結婚
2002~3年 夫とともにワーキングホリデーでオーストラリアへ。
半年パースに住み、語学学校へ。ビーチバレーも。
残りの半年はシドニー、ゴールドコースト、ケアンズなどで途中夫と別行動。
観光や労働など楽しみ、ゴールドコーストで合流してハーフマラソンにも参加。
2005年5月 長男出産
2007年8月 名古屋から浜松へ引っ越し
2008年5月 長女出産
2010年10月 次女出産
次女が年中さんくらいに、ママさんバレーのチームに所属。バレーは8年ぶりくらい。
全国目指してバリバリ練習しているチームについていけず、最初の1年は月2回の参加。
へなちょこでした。。。
2021年には9人制クラブのマスターズのチームにも誘っていただき、ボールの重さの違いに戸惑いながらも全国大会にも連れてってもらいました。
子どもが所属したサッカー少年団やバレー少年団で役員をやったり
子どもの中学受験や、国立中学でPTA広報委員長(←ジャンケンで負けました)などを経験。
2022年からは中学部活の外部コーチもやることになり、土日は仕事もしつつ、少年団送迎と部活指導と、休む暇なしの週末に。
2023年度は市立中学のPTA会長(←一応投票。名前がひらがなの影響が大きい)に。
私の生活どうなっちゃうんだろうという不安いっぱいですが、楽しみでもあります。
現在のお仕事
チルチェ主催教室
産後ケア教室
脳育運動教室
未就園児クラス・園児クラス・小学生クラス
健康教室
バランスボールクラス・骨盤アンチエイジングクラス
出張教室・セミナー
(継続教室)
雄踏文化センター主催 おかあさんといっしょに 講師
引佐多目的研修センター主催 キッズバランスボール体操 講師
(単発教室)
曳馬・高台・舞阪、など協働センターやあいホール主催 教室・セミナー講師
浜松市発達医療総合福祉センター相談支援事業所主催 教室講師
総合病院産科主催 産後ケア教室講師
なぜ私が産後ケアと脳育運動教室を主催しているのか
高校時代のケガ
【プライベート】のところにも書いたのですが
高校の部活時代に腰を痛めました。
当時は高校部活にトレーナーさんという人はいなくて、痛いところがあったら部活を休むのが主流でした。整形外科の先生には部活禁止、と言われ、部活の時間にコートの隅で腹筋背筋をする日々。
チームメイトが練習しているのを腹筋背筋をしながら見ていました。
その時に、ケガした選手に寄り添いたい、トレーニング方法を教えれる人になりたい、と思い大学は健康科学部健康スポーツ科学科に進みました。
就職後の疑問
大学を卒業して、全国展開しているマッサージ治療室に勤めました。普段は一般のお客様。時々競輪選手などのスポーツ選手が来たり、実業団に出張に行ったりしました。
その、時々あるスポーツ選手への施術はとても楽しかったのですが、普段はビジネス街で働く方たちが多く、簡単な体操もせずに「やって」状態に疑問を持ちました。
健康科学部出身ですから、自分で自分の筋肉を動かしてケアする方法も知っています。人にやってもらうのは気持ちがいいとは思いますが、自分でケアしたうえで人にやってもらう方が効果も上がります。
私の中で、その疑問がとても大きくなってしまって、その会社を退職しました。
天職の出会い
スポーツジムのバイトを経て、薬の商社のトータルヘルス研究所に転職しました。そこでは、医師・保健師・管理栄養士と共に、私のような運動指導士がチームを組んで健康教室やセミナーなどを開催するお仕事をしました。
天職!!!と思えるほど、楽しい仕事で、途中ワーキングホリデーに行ったり、出産を挟んでもまた私を受け入れてくれる寛大な会社でとても楽しくお仕事させていただきました。
浜松への引っ越し 同居
天職に出会えて楽しく運動指導のお仕事をしていましたが、夫、息子と共に名古屋から地元である浜松に引っ越すことになりまして、第二子を妊娠していたこともあり、就職活動はできず、そこから主婦になりました。
第二子出産後、私の親との同居もあり、イライラが治まらず・・・。
夫が休みの時にピラティスに通わせてもらっているのになぜこんなにもイライラするんだ?
当時はまだスマホはなく、子どもを寝かしつけ後パソコンを立ち上げ、検索する日々。
その中で、「産後ケア」という言葉を知り、産後は体のケアだけではなく心のケアも必要!と知りました。
産後ケアの勉強
東京で産後ケア指導者のセミナーに参加したり、指導者のブログを夜な夜な読み漁ったりしていました。
まもなく第三子を妊娠し、出産後に名古屋まで「産後ケアクラス」に通い、その後始まった「産後ケアインストラクター養成講座」に第三子を連れて毎週、半年間通いました。
資格取得後は、浜松で「産後トータルケアクラス」を開講。他のサークルに比べ結構高額なクラスなのにもかかわらず、たくさんのママたちに受けていただきました。
自分の子どもが大きくなるにつれて、小学生同志のトラブル、保護者同志のトラブルなどを経験したり聞いたりして、産後ケアの脳内メンテナンス(思考整理や考え方など)やコミュニケーションスキルは、どんな人にも必要、と感じました。
子どもの体力、運動不足による問題
自分が運動指導出身なこと、部活を頑張っていたこと、などから子どもの運動指導にも力を入れ、その中に脳活性プログラムや産後ケア思考なども取り入れて、キッズ運動教室を主催するようになりました。
現代は、子どもの体力が二極化しています。やる子はものすごくやるけど、やらない子も多い。そして、ゲームなど背中が丸くなって近くを見ている時間が必要以上に長い子も。
スポーツをやっている子はやりすぎによるスポーツ障害やケガが多い。
コアコンディショニング、発育発達体操を学び、体の使い方を学び、体づくりの土台の部分をつくる教室をつくっています。→運動教室ページへ
2023年からはさらに、特色である脳活性を名前に入れ「脳育運動教室」とし、リニューアルします。
「産後ケア」と「子どもの脳育運動教室」は私の学びの集大成です。
自分自身の子育ての中でもいろいろなことがありましたが、私たち親世代も、産後ケアの脳内メンテナンスを学んで実践できていれば対処できる、と感じそれを多くの方たちにお伝えできるように【産後ケア】と【脳育運動】を発信していきます。
私の個人ブログはこちら
お仕事のレポ記事の他に、バレーのこと、母が育てていたメダカにハマっていること、ハンドメイドのことなど書いています。